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わずかなすきから秋の風

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   これは日本が高度経済成長期に入りかけたとはいうものの、やっと庶民の家庭に白黒テレビが普及した頃の話である。秋が深まり、夕闇の訪れが日に日に早くなってくると、子どもたちはおのずと帰宅を早め、お茶の間のテレビのスイッチをひねる。そして六時半ごろだったろうか、きれいなコーラスが流れ始めた。「みんなの歌」の時間が来たのである。 ハゼの木  この番組は1961(昭和36)年に始まった、一日たった五分で二曲を聞かせてくれる子ども向けの歌番組で、今も連綿と続いている。その中に、私にとって忘れられない一曲がある。ボーカルグループ、ボニージャックスの「ちいさい秋みつけた」である。テレビ放映されたのは、たしか1962(昭和37)年の十月から十一月。聴覚・触覚・視覚に分散したサトウハチローの連構成や、「♫だれかさんが、だれかさんが、だれかさんが見つけた」と小刻みに盛り上がっていく中田喜直の付したメロディが見事だが、私の心に刺さって今も忘れられないのは「わずかなすきから秋の風」なる一節であった。「そうそう、秋の風ってこんな感じ」「ビュービュー吹いてる風じゃない」「風の川って感じかな」。初めて聴いて以来、私は放映のたびにこんな思いを乗せて「わずかなすきから秋の風」の一点に集中してこの歌を聴き、合わせて歌った。   当時の庶民の住宅はまことにお粗末なもので、アルミサッシが普及する前の木製の窓枠や窓の桟は隙間だらけ、悪くするとその隙間から窓の外の景色が見えたりもした。夏の暑い時期には隙間風もいくらかは心地よかっただろうが、晩秋から初冬へと向かう時期には、窓のそばにいると冷気が帯のように腕やすねを襲った。  詩人サトウにとって「秋の風」は初秋の心地よい風だったのかもしれぬ。「わずかなすきから」という設定には、発見の喜びがこもっているように思われる。しかし、私にとって「秋の風」は晩秋の切ない冷風だった。子どもの感性は作詞者や作曲者の期待どおりには働かない。長じてのち、サトウ、中田の人生や作品を調べ、この作品に対する理解は小学生の頃とは比べものにならないほど深まった。しかし、そんな理知的な鑑賞を寄せ付けないほどに、「わずかなすきから秋の風」なる一節は、六十年以上を経た今も心に刺さり続けているから妙なものである。 セカンドテナー K.N

音楽がもたらす「善きもの」

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5月、新緑の季節。私は初めて天竜壬生ホールを訪れ、「遠州ジョイントコンサート」を聴いてきました。出演した五つの音楽団体は、それぞれが素晴らしい歌唱力を発揮していました。中でも合同ステージは圧巻でした。総勢40余名が客席内やステージを移動しながら歌い、そのハーモニーがホール全体に漂い、縦横に行き交う――本当に見事な演奏でした。

昭和歌謡の復活に思いを寄せて

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 皆さんは家で音楽を聴くとき、どんなジャンルの曲を聴きますか。クラシック、ジャズ、最近の流行の曲まで、さまざまな選択をされると思います。そんな中、近年の特徴として昭和歌謡が取り上げられる機会が多くなりました。若者の間でもブームになっているようです。では、なぜ令和の時代に昭和歌謡が受け入れられるのでしょうか。 昭和歌謡といえば、'70年代〜'80年代が黄金時代といわれています。2025年は昭和100年に当たります。歌謡曲とは、流行歌、ポピュラー音楽の総称であり、大衆に支持される大衆歌のことと定義されるようです。 シティーポップの舞台 歌謡曲といってもジャンルがあり、歌謡曲、ロック、ポップス、フォークなどに分類されます。ロックやポップスの歌手はアーティスト、シンガー・ソングライターなどと呼ばれ、少しかっこいいイメージでしょうか。その中でも「シティーポップ」というジャンルがあり、浮遊感のある爽やかなサウンド、都会的な雰囲気の歌詞が特徴です。 代表的な歌手は大滝詠一、山下達郎、竹内まりや、「木綿のハンカチーフ」の太田裕美などでしょうか。これらの曲は今聴いても時代にマッチしており、違和感は全くありません。こうしたメロディーや歌詞が、今の若者にも受け入れられているのではないかと考えます。 また、美しいメロディーや歌詞の魅力とともに、歌を聴くだけで当時の時代や景色が浮かぶのではないでしょうか。男声合唱団でも昭和歌謡が歌われていますが、改めて曲のすばらしさを実感することがあります。皆さんの音楽鑑賞の中に昭和歌謡をセレクトしていただき、もう一度じっくりと味わってみてはいかがでしょう。きっと、いい曲がたくさん見つかると思います。 セカンドテナー T.S

来年の演奏会に向けて

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 私たち浜松男声合唱団は、来年(2027年)2月に演奏会を開催します。 指導者も替わり、新たな浜松男声合唱団として、少しでも良い演奏をお届けできるよう、毎回の練習に励んでいます。 次回の演奏会では、多くの愛好家の皆さんにも歌ったご経験があるのではないかと思われる、多田武彦さん作曲「男声合唱組曲 雨」を演奏します。私自身、学生時代に歌った曲で、懐かしさとともに、毎回「やはりきれいな曲だなあ」と感じながら歌っています。 また、「暗くて泣きたくなる男声合唱曲集」から「神田川」「学生街の喫茶店」「五番街のマリーへ」「22才の別れ」「遠くへ行きたい」の5曲を歌います。皆さんも若い頃に口ずさみ、今はカラオケで歌っているのではないでしょうか。懐かしいですよね。 さらに最近の作品として、信長貴富さん作曲「男声合唱曲 夕焼け」、千原英喜さん作曲・瀬戸内寂聴さん作詩「男声合唱とピアノのための組曲 ある真夜中に」より「3.寂庵の祈り」、松下耕さん作曲「男声合唱とピアノのための 主は私の羊飼い」の3曲を演奏します。どれも、とても美しい曲です。 どうぞお楽しみに。しっかりハモった男声合唱をお聴かせできるよう頑張ります。 セカンドテナー T.S 毎週練習に励んでいます!

定例会開催~まっちゃん復帰、待ってたよ~

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 4月19日日曜日、定例会と称する飲み会が開催されました。今回は4月から復帰された元団長の松浦さん復帰歓迎というタイトルがつき、11名の参加で、楽しい飲み会となりました。1月から復帰された中村国男さんも参加され、復帰したもの同士お互いの思いを語り合われたようです。 様々な話題であっという間の2時間でした。 まずはビールで乾杯! 真面目な話か? 話に花が咲く

39年越しの約束

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  年齢を重ねるほど、時の流れが速く感じられます。43年前、大学生だった私は夏休みに浜男の練習に参加し、「来年、浜松の会社に就職しますのでよろしくお願いします」とあいさつしました。つい最近のことのように思い出されます。  しかし就職後すぐ長野県へ転勤となり、そこで男声合唱団に入る機会もないまま39年が過ぎました。再び浜松勤務となり、ようやく当時の約束を果たして浜男の一員になれたときは感無量でした。以来4年間、浜男で歌わせていただいています。  男声合唱の重厚なハモリは心地よく、時に中毒になりそうです。練習でよくハモれた日はうれしく、うまくいかない日は残念ですが、最近はハモることが増え、ますます男声合唱が好きになっています。  昨年の浜松市民合唱祭で歌った「秋の子」は、歌いながら胸が熱くなるほど気持ちよく歌えました。 秋の子音声データ  ここ数週間は、9月5日の静岡男声合唱フェスティバルに向け、合同曲の音取り練習を続けています。大人数での演奏は迫力あるものになるはずで、とても楽しみにしています。  仲間が増えれば、その分だけ楽しさも広がります。一緒に歌ってくださる方がいれば、うれしく思います。 セカンドテナー Y.S.

老いは成長の過程か?

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 昨年十月下旬、朝目が覚めると突然、腰とお尻に激痛が走り、もんどり打っていました。あまりの痛みに訳が分からず、妻に頼んでかかりつけの内科に連れて行ってもらいました。親切に血液検査、尿検査、エコー検査などをしてもらいましたが、結果は異常なし。「整形外科へ行かれてはどうですか」と、やや白い目で言われました。 お世話になった整形外科 すぐに整形外科へ行き、レントゲンを撮ったところ、老化により背骨の間がすり減る椎間板ヘルニアと診断されました。しばらくは痛くてびっこを引いて歩いており、一生このままかと不安でしたが、次第に痛みはなくなりました。ただ、今でも右足にしびれがあり、強く踏ん張ることはできません。 これは老化の一つだと言われました。昨日と同じ今日が来ると思っていたのに、突然違う日々が訪れる。気がついて鏡を見ると白髪も増え、しわも深くなっている。おそらく歌声も老化していくのでしょう。 しかし、よく考えてみれば、あれほどショッキングな日々から五カ月後、しびれと付き合いながらも、また普段の日々を送っています。老化を受け入れながら生きているということは、成長と言えるのかもしれません。白髪もしわも、生きてきた証なのかもしれません。 私の知人に、九十歳でとても響きとはりのある声で歌われる方がいらっしゃいました。人生も合唱も、老化を受け入れながら成長していきたいと思うこの頃です。 (バス A.K)